走り出すにはまだ足りないスピードが

 


SnowManを観てきて幸せだった時間も、辛かった時間も両方あった。正直SnowManのファンを続けていけるか、たくさん悩んだこともあった。その全部。

 


私が初めてSnowManを認識したのはまだメンバーが8人だった頃。真田さんと野澤さんがいた頃。2009年の滝沢革命で結成されたMisSnowMan。(初期メンバーの頭文字をとって命名された。美勇人が初期メンバーだったことを知ってる人はまだいるだろうか) 当時、私はMisSnowManというグループの存在は知っていたけれど、彼らのことは何も知らなかった。しかし、私が彼らを認識してから、彼らに魅了されるまでそう時間はかからなかった。

 


そのうち真田さんと野澤さんの2人だけ引き抜かれる形でnoon boyzというユニットができた。フジテレビの平日昼帯でやっていた「いいとも!」という番組の「いいとも青年隊」(アシスタント)に抜擢された。ジャニーズJr.がテレビのお仕事がもらえるなんて本当にすごいことだし、良いことには違いはないんだけど、でも本音は8人がMisSnowManが好きだった人にとっては苦しい時間だった。

 


情報解禁のときは「MisSnowMan初主演映画!」と書かれていた「HOT SNOW」も、円盤化される時には「noon boyz・ジャニーズJr.初主演映画」って帯に変わっていた。それくらい簡単にユニットが崩れることがままある時代だった。MisSnowManは自然解体され、6人は名前をなくした。

 


そんな最中、嵐のツアーバックの仕事を最後に阿部ちゃんは大学受験の為に活動休止に入った。このタイミングでの活動休止。ユニット名もなく不安定な状況で、本人たちも相当悩んだだろうし、ぶつかり合ったり、お互いのことを認め合えないこともあった。

 


どうか必ず戻ってきてと、願うことしかできなかった。もしも5人がバラバラになってしまったら、阿部ちゃんの戻ってくる場所がなくなってしまう…そんなことを思っていた。

 


5人になってからの初仕事はドリボだった。ユニット名がないから岩本たちとかManとかと呼ばれていた。名前はないけれど5人は一緒だったし、阿部ちゃんが帰ってくるまで耐えて待っていれば、また6人に戻れると信じてた。きっと大丈夫だと。

 


noon boyzの2人が風磨と健人とWキャストという形で出演したABC座に5人も出演した。けれど、そこにはかつての仲間MisSnowManだったという痕跡は1ミリもなくて少し寂しく感じた。

 


次の春、阿部ちゃんは受験を終えてちゃんと戻ってきてくれた。今思えば、あの時代に名前もない状態の5人がずっと一緒にいられたことも、そこに阿部ちゃんが戻ってこられたことも奇跡と言っても過言ではなかった。

 


そしてその年の滝沢歌舞伎SnowManというグループ名をもらった。滝沢さんがくれた。みんな泣いてた。6人を滝沢さんが拾い上げてくれて、SnowManという新しい居場所をくれた。他の誰でもない滝沢さんが。

 


そしてMisSnowManはSnowManとnoonboyzという別々の道へと歩き始めることになった。きっともう二度と交わることはないだろう道へと。2人に置いていかれた6人が、2人を置いて進んで行くかのように見えた。この世界の複雑さを強く感じた。

 


その年、103公演という過去最多公演数と言われたジャニワが始まった。その最中、ジャニーズJr.6人が選抜され、Hey!Say!JUMPの山田涼介の初のソロ曲「ミステリーヴァージン」のバックにつくことになった。その6人の中に岩本さんと深澤さんがいた。(のちにファンの中で謎選抜と呼ばれる)メンバーは岩本さん、深澤さん、安井さん、萩ちゃん、美勇人、モロの6人。岩本さんと深澤さん以外の4人は当時ユニットに所属していない無所Jr.だった。

 


山田さんのソロ曲のバックだけでなく、少クラにも謎選抜のくくりで出演するようになったり、謎選抜でクリエも決まった。事務所の無言の圧、大人の思惑を感じざるを得なかった。私には、岩本さんと深澤さんはあくまでも自分たちはSnowManなんだという意思があるように見えていた。そう思いたいからそう見えてただけかもしれないけれど。でも、もし岩本さんも深澤さんも無所4人もこのメンバーでやって行きたいと望んでいたら、間違いなく正式ユニットになってたんだろうなと、今なら思う。無所の4人だって本当だったら正式ユニットに入りたかっただろうに、SnowManに遠慮してくれてる感じがあった。この頃ジャニーズJr.は個人戦時代で、ユニットに入ることがいかに難しく、貴重なチャンスだったか想像に難くなかった。

 


安井さんが謎選抜のクリエの公演の最後で「ジャニーズJr.全体の応援をお願いします」と挨拶したこと、SnowManのファンの人の気持ちも考えてくれた挨拶だろうなと思ったし、あの歳で安井さんが立場をわきまえて、その全部を背負ってしまうことが、苦しくって少し泣いた。京本ラインが解体した後のバカレア全盛期の安井さんがそんな挨拶するもんだから、余計に切なく感じた。

 


2013年は演舞場、クリエがあって、ドリボがあって、ABC座があって、トニトニがあって、さらに、中島健人主演の「BAD BOYS J」というドラマに、岩本さん、深澤さん、渡辺さんの3人が出演した。私はこのドラマをきっかけになべふかコンビにハマった。

 


2014年にはTV番組ガムシャラが始まった。徐々に謎選抜のくくりでの活動もなくなってきた頃で。いろんなJr.が出ていたけど、あの個人戦時代に名前の後ろにグループ名がついていたのは(SnowMan)くらいだった。この番組を通していろんなJr.を知った人も多かったと思う。やっぱりテレビ露出のチカラの大きさを思い知らされた。

 


この年の夏はいわふかはガムシャラ、だてなべあべさくはキスマイツアーに出ることになった。

 


この年のガムシャラは、チーム我として岩本さん深澤さんとジェシー半澤くん増田くんの5人でフリースタイルバスケのパフォーマンスをした。やっぱりどんなときでもずっと深澤さんの隣には岩本さんがいた。

 


2013年くらいから歌舞伎、クリエ、ドリボ、冬の帝劇、その合間に先輩のバックの仕事があったりして、だいたいの一年の流れが決まって来るようになってた。良くも悪くもそれがずっと足踏みをしている感覚だった。(2015年のクリエでSixTONES結成)

 


2015年は滝沢歌舞伎の10周年としてシンガポール公演が行われ、はじめての海外公演を経験した。滝沢さんに連れて行ってもらった、貴重な経験だったと思う。

 


ただ、滝沢歌舞伎に出るため、ガムパにはSnowManからは誰も出ることができなかった。Jr.担みんな観ている番組だからこそ、知名度を上げるチャンスだった訳で、そのチャンスを逃したことに対して少し悔しい気持ちもあった。

 


歌舞伎、クリエ、ドリボ、冬の帝劇の繰り返しの流れを変えたのは2015年の少年たちだった。当初はSixTONES主演、関ジュ出演として発表されたのだが、申し込み締め切り直前に突然SnowManも主演として出演することが発表された。

 


突然の発表で驚いたけれど、チャンスをもらえたことが嬉しかった。足踏みしていたと思っていた時間も、決して無駄ではなかったんだなと思わせてくれた。SnowManにとってターニングポイントととなるお仕事だったように思う。

 


とても素敵な舞台だった。この作品のレベルをグッと引き上げたのは、間違いなくSnowManだと思った。来る日も来る日も舞台に立ち続けてきた努力があったからこそ、荒削りだけど人の心を動かすことのできる素敵な舞台になったんだと思う。

 


そしてこの少年たちでSnowManとしては初のオリジナル曲「ZIG ZAG LOVE」をもらった。SnowManがこのキャッチーな楽曲を選んだということが少し意外だった。今思えば、今のSnowManのイメージをつくりあげる、最初の1曲だったのかもしれない。

 


私は、この少年たちでようやくSnowManは6人で活動していけるんだって安心してもいいんだって思うようになった。事務所も認めてくれたんだって。小さな夢が一つ一つ実現していくことを実感できて嬉しかった。

 


そしてまたこの年もジャニワで年をまたいだ。

 


2016年。

歌舞伎で春を迎えて、初夏になるとクリエが始まった。(この年のクリエでLove-tune結成)

 


今年の夏はキスマイのドームツアーのバックについた。先輩グループのツアーでバックにつくのはこれが最後になった。

 


サマステが始まった。スノストラブトラが横一線で並ぶようになったのはこの頃からだったと思う。この並びにSnowManも入れてもらえたことが、正直びっくりでもあった。ずっと舞台班のくくりだったのが、この頃あたりから徐々に舞台班から抜けていったように思う。

 


秋、この年も少年たちをやらせてもらえることになった。2年目の少年たち。オリジナル曲「Acrobatic」をもらった。

 


冬帝劇はオールスターアイランドだった。

 


2017年。

ジャニーズJr.祭りの開催が決まった。滝沢歌舞伎が始まる為、急遽発表されたたまアリ追加公演には出演しなかった。

 


滝沢歌舞伎では「Boogie Woogie Baby」をもらった。滝沢さんがプロデュースしてくれて、三宅健さんさんが衣装を、五関さんが振付を手掛けてくれた。SnowManはたくさんの先輩方に愛されているんだなと思った。

 


この年もクリエが決まった。SixTONESはこの年の出演はなく、実質のクリエ卒業だった。SnowManは今年もクリエ…

 


夏はサマパラ健人のソロコン「Mission:K」のバックについた。

 


ストーリは「3017年からきたKentoroidが2017年のKenty Girls&Boysを守るための任務遂行するためにやってきた。未来からきた健人が今の私たちをボロボロになっても守ってくれる。」というストーリー。SnowManは健人をサポートするエージェント。

 


「健人×SnowMan」の組み合わせは最強だった。健人のSnowManへの敬意をすごく感じたし、健人がつくり出したかった世界をつくるにはSnow Manが必要だと思った。

 


健人はSnowManよりも後輩だけれど、健人がつくりあげるコンセプトの強いコンサートはSnowManにはない才能だなと感じた。だからこそ、この共演はとても良い経験になったんだろうなと思った。極楽蝶も久々に観れて嬉しかった。

 


サマパラが終わってすぐにサマステが始まった。EXでは初めての単独公演、SixTONESとの合同公演もあった。

 


塚ちゃん主演の映画ラストホールドへの出演が決まった。

 


この年も少年たちをやらせてもらえることになった。3年目。しかもいつもの日生劇場での公演に加えて、今年は大阪松竹座でもやらせてもらえることになった。

 


さらに、日生劇場公演と大阪松竹座公演の間に、少年たちLIVEの開催も発表された。

 


3年目、もしかしたら今年が最後かもしれない、そろそろ世代交代してもおかしくないなと思っていた。最初で最後のスノスト12人だけの少年たちだった。

 


大阪松竹座で渡辺さんの誕生日公演があって、スノストみんなでお祝いした。照れ臭そうな渡辺さんが可愛いかった。

 


この年の少年たちで「VI Guys Snow Man」「Vanishing Over」2曲オリジナル曲をもらった。

 


冬には「お台場踊り場土日の遊び場」、通称湾岸LIVEが開催された。ついに、ようやく冬コンをやらせてもらえた。SnowManなのに冬コンやったことがなかったから。

 


この頃、私は頻繁に「SnowManはデビューできないのかな?」と友人に話していた。その友人はデビューしなくても良いという考えの子だった。あの頃のスノ担はそういう考えのファンが多かったように思う。私もSnowManの魅力は私が知っていればそれで良いと思っていた節はあった。彼らのパフォーマンスをこの距離で、指先1本までしっかり見ることができるのは、やっぱり最高だったし。でもきっと彼らはデビューしたいのだろうなとも思っていた。

 


そして、この年の冬帝劇はハピアイ。実力の2幕。SnowManはそれなりに目立つポジションを貰えて、嬉しかった。実力を見せつけたと言っても過言ではなかったと思う。やっぱりSnowManのダンスは武器になるのだと確信した。

 


この年のカウコンは放送前の時間にJr.もパフォーマンスをさせてもらえた。SixTONES、TravisJapan、 SnowManの3組だけ。SnowManは「ZIG ZAG LOVE」を披露した。やっぱりまだまだの知名度なんだなということを会場の空気感から痛感した。

 


そして1/17。キンプリがハピアイにて、デビュー発表を行った。正直、キンプリより先にSnowManがデビューするビジョンはなかった。なかったけれど、焦りは感じた。怖かった。SnowManがステージから降りてしまわないか、すごく心配だった。

 


そのすぐ後にスノストラブトラのJr.祭りが発表された。しかも初の横アリ単独公演もあった。きっと比べられる。キンプリが抜けたあと、Jr.の中で頭ひとつ抜きん出るグループはどこか、判断されると思った。勝てる自信は正直なかった。でもSnowManSnowManだから。彼らのパフォーマンスは彼らにしかできないパフォーマンスだから。

 


そして、時を同じくしてYouTubeが始まることが発表された。この横アリ初の単独公演で最初の1発目に上げる動画を撮ってくれたこと、嬉しかった。すごく記憶に残る思い出になった。

 


この初の横アリ単独公演で「Snow Dream」をもらった。メンバー6人の名前が入った歌詞が嬉しかった。彼らの決意が込められた、SnowManらしい曲だった。白いペンライトが会場全面に広がる景色、きっと私は一生忘れない。

 


この年の滝沢歌舞伎新橋演舞場御園座の公演があった。

 


実質クリエ卒業。SnowManもついにクリエの卒業だった。そりゃ、横アリ埋めるグループがクリエは狭すぎる。

 


ラストホールド公開。

 


夏はサマパラ。去年は健人のバックで立ったTDCに今度はメインで立てる。楽しかった。FREEZEが天才だった。アクスタ戦争大変だったな。

 


私は宇宙Sixのサマパラにも行った。初めて彼らのパフォーマンスを観て、どこのグループにも引けを取らないレベルに驚いた。やっぱり舞台班のポテンシャルは高い。特に殺陣を組み込んだ演出には息を飲むほどだった。林くんがいる頃に観に来ておけば良かったなと思った。岩本さん、深澤さん、佐久間さんが見学に来た。

 


秋、勝手に去年で最後かと思っていた少年たちをこの年もやることになった。また少年たちが観られることがシンプルに嬉しかった。美少年や少年忍者など後輩がたくさん出た。こうやって後輩がつくような年齢になって来たということと、今のこの状況や立ち位置に、彼らは何を感じているんだろう、と考えることが増えた。

 


「Party!Party!Party!」「Don’t Hold Back」の2曲をもらった。

 


(タキツの解散発表)

(なにわ男子の結成)

 


深澤さん、佐久間さんダブル主演で初の外部舞台「キャッシュオンデリバリー」が決まった。そのあと少しして同時期に岩本さん、渡辺さん、阿部さんの初外部主演舞台「愛と青春キップ」が決まった。そして、その公演期間中に宮舘さんがドラマ「ぬけまいる」に出演することが決まった。SnowMan全員に外部仕事が決まってすごく嬉しかった。ようやく少しずつ風穴が空いたような気持ちだった。

 


私はキャッシュオンデリバリーが好き過ぎていまだに再演を待ちわびている。

 


SHY BOYプロデュースによる翻訳劇で、元々はイギリスの劇作家マイケル・クーニーの作品。

 


「本作の舞台はロンドン郊外、 エリック・スワンの自宅。 エリック(深澤)には、 妻のリンダに大きな隠し事があった。 2年前に勤め先をクビになって以来、 嘘を駆使して社会保障手当を不正受給し、 生計を立てていたのだ。 良心の呵責を感じ始めたエリックは、 手当てを打ち切る方法を思いつく。 ーでっちあげた人物をひとりずつ抹殺しようー

ところがそこへ、 社会保障省の調査員、 ジェンキンズ氏が訪ねてくる。 2階の間借り人ノーマン(佐久間)を巻き込んで、 どうにかごまかそうと嘘を重ねるエリック。

ごまかせばごまかすほど嘘がこじれ、 エリックとノーマンは窮地に立たされていく。

2人はごまかしきれるのか?!」

 


SHYBOYプロデュース公演の旗揚げともなったこの作品。「この2人の事を2年前から知ってて、この2人だったら、このエリックとノーマンを是非絶対やらせた方がいいと強引に進めた」と清水さんがおっしゃっていて、清水さんがキャッシュオンデリバリーという作品に出会わせてくれたんだって、難しい作品だけれど2人なら絶対にできるって信じてくれたんだって、本当に嬉しかった。

 


大阪公演を終えて東京公演、そして大千穐楽。共演者のむっちゃんの挨拶がレポで流れてきて大泣きしたのを覚えている。

 


武藤「私、普通にこなす人なのかな?とか思っててあんまり悩んでないのかな?って思ってたんだけど。2人とも愚痴も言わないし、甘えてこないし、大丈夫?って中日くらいに言ったときに、2人すごい悩んでたの聞いて、もっとはやく助けたかったと思って。

謝んなきゃいけないのよ。野坂さんって演出の人がすごく厳しくて、怒られた時に、悔しいでしょ。1回Snow Manからきたっての忘れて1役者としてやって、って言ったことがあったみたいで。なんでも言っちゃうからごめんねー。

大事にしてるんでしょ?Snow Manのこと。それでも2人は、はい!って言って、いい芝居をやってくれて。」

 


きっと本当に本当に大変だったんだろうなって、でも本当に素敵な作品だったし、間違いなく2人の代表作になったと思う。きっとまたいつか絶対に観たい作品。

 


愛と青春キップはモ案件で始まる前は果たして…と思っていたのだけれど、幕が開いてみるとめちゃくちゃ良かった…

 


「豪華客船で開催される華やかな船上ショー。

浦川(岩本照)、小笠原(渡辺翔太)、西岡(阿部亮平)はバックダンサーとしてショーを支えていたが、

みな明日のスターを夢見ていた。

そんなある日、客船は航路を外れ座礁し、無人島へ漂着する。

漂着したのは、ワガママで有名なショーの看板女優(剣幸)と彼女を取り巻くダンサーたち。

彼らは無事に無人島から脱出できるのか…?!」というストーリー。

 


特に印象に残ったシーンは、

 


無人島で何もすることがない中、亨(岩本)はダンスをしないかと提案するが、「今はしたくない、わたしの気持ち、わからないでしょ?」「リーダー風吹かせたいのも分かるけど、よく気楽にダンスしようとか言えるな」「生きて帰れるかもわからないのになんのためにダンスするんだよ!!!」と仲間に言われてしまう。

「みんなは?こないの?」って修一(阿部)が言うと、

「踊る気になれないんだってさ、生きて帰れるかもわからないのに何の為に踊るのかって踊る意味なんてあるのかって逆に言われちゃったよ」と亨。

優(渡辺)が「言い返したんでしょ? 言い返してないの? 亨らしくないじゃん。どうして言わなかったんだよ。場所はどこでも、みんなで…」

ここで亨に遮られる。

「………俺から言い出したんだけど、優も修一も、無理して付き合ってくれなくていいから。命令するつもりもないし…」という亨。

思いがこみあげてくる修一。

「なんでそんなこと言うんだよ。なんで亨がそういうこと言うんだよ!一週間前までは、誰もこの島に来ることなんてわからなかった。沈むってわかってたら、誰も船になんて乗らなかったよ!!あのときボートに乗れずに海に落ちていたら、僕らみんな死んでいたかもしれない。でも、、助かったんじゃないか!!明日どうなるかわからないから、一瞬一瞬を大切に過ごすんだって言ってたの誰だよ!!!踊ってると元気が出て、楽しくなって、生きてる~~!って、そう感じるって言ってたの、誰だよ!!!!苦しいときこそ、つらいときこそ、ダンスが自分を救ってくれるんでしょ?それが大事なことでしょ?情熱を持ち続けることは、難しいことかもしれない。でも、忘れちゃだめだよ。思い出せばいいんだよ!!だって、生かされたんだから。やりたいやつだけやればいい。僕らだけでもしようよ!だってダンスは、僕らにとって…生きるためのエネルギーになるから!!!」

「誰も見てなくても、踊る意味は生まれる。俺はそういう亨に、救ってもらったから。だから亨は、間違ってないんだよ」と優。「苦しいときこそ救ってくれるかぁ…」と涙声で言う亨。「また歌おうか!!!元気がでる歌!!」とこちらも涙声で修一。

そして3人のダンスシーンへと続く…

 


涙が溢れて止まらなかった。SnowManとして歩んできた3人と重なって、彼もきっとこうやってどこかに希望を見出しながらステージに立ち続けて来てくれたんだと思うと、気づいたら涙が溢れてた。素敵な舞台だった。

 


みんながそれぞれの外部のお仕事を終えた頃、滝沢歌舞伎ZEROの発表かあった。昨年まで滝沢さんが座長を務めていた滝沢歌舞伎の座長をSnowMan6人が引き継ぐことになったことが発表された。ようやく6人で主演の舞台ができるんだって、そうやってひとつひとつ夢を叶えて行こうねって、南座のポスターを観たとき思った。

 


Love-tuneのメンバー全員の退所が発表された。一緒にJr.として歩いてきた彼らがジャニーズ事務所から離れることはとても寂しかった。かつての仲間だった真田さんのことをどう思ったんだろうか、謎選抜の4人のことをどう見送ったんだろうか。ちゃんと挨拶できてたらいいな、と思った。

 


キンプリアイランドの公演案内があった。その後少ししてメールにて※Snow Manは都合により1月11日から休演いたします。の案内があった。歌舞伎の稽古かなと思った。

 


去年はLove-tuneがいた場所に違うグループが立っていた。寂しかった。もう大好きだったキンプリハイビースノストラブトラを見ることはできないんだね…

 


カウコン。タキツの引退。たくさんたくさんお世話になった2人の最後の晴れ舞台。タキツがいなかったらSnowManはいなかった。感謝の気持ちを込めて、最後の景色を目に焼きつけた。

 


今年もオンエア前のステージでパフォーマンスを披露させてもらった。SixTONESの歓声の大きさに驚いた。負けてる…と思ってしまった。私はSnowManのために何ができるだろうか、もっとみんなに知ってもらえるようにできることをやらなきゃ、彼らだっていつまでもステージに立ち続けてくれるとは限らないんだから、と腹をくくったカウコンだった。

 


SnowManがキンプリアイランドに出る最後の日曜日の夜公演を観に行った。今思えばこれが最後になった。

 


それから11日後の1/17。

 


私は仕事のために朝5:30に起きた。眠いまぶたを擦りながら、Twitterを開くのが朝のルーティーン。ある新聞の記事が目についた。何が書いてあるのか理解ができなかった。少し前からそんな噂は目にしていたけれど、SnowManがそんな訳ないじゃん、としか思っていなかった。

 


同じ内容をテレビのワイドショーで観て、ようやくSnowManが増員することを理解した。急いで仕事に行く準備をする。メイクをしているのに涙が溢れて止まらない。慌てて家を飛び出して乗り込む満員電車。「なんで?」と考えれば考えるほど溢れ出る涙。マスク付けててよかった。仕事なんか全然手につかなくて、パソコンのディスプレイの1点をただ見つめる。

 


「明日のWSってJr.祭り情報解禁だったりする???」なんて呑気につぶやいてた、前日の自分を思い出す。いや、まあ、Jr.祭りの情報解禁だったのは正解だったんだけどね。

 


あけおめオーラスmy dreams大泣き事件を思い出す。康二とるたの関ジュ卒業だけがオチではなかったのか…と気づく。宇宙Sixはどうなるの…?

 

これまでたくさんお世話になって来た滝沢さんが…?何で…?

 

 

今までのSnow Manの全部を否定された気分だった。

 

 

6人のSnowManを守れなくてごめんね。もっとできたことたくさんあったのに。本当にごめんね。

 


その日は珍しく定時で会社を出た。京本担が付き合ってくれて居酒屋で泣きながら終電まで飲んだ。

 


何をどう言っても誰かの好きを、誰かの未来を傷つけてしまうから、辛いしか言えなかった。その状況が1番辛かった。

 


何で?何でこうなった?何がいけなかった?どうすればよかった?いくら考えても答えが見つからない。

 


デビュー組担から笑われるかもしれない。もしかしたらスノ担も笑うかもしれない。でも私はカウコンで東京ドームに立つSnow Man観て、どれだけ時間がかかっても6人がドームを埋める景色が観たいと思ったし、不可能じゃないって思った。だからこれから頑張るって決めたのに、それ諦めなきゃいけないの?って思ったら、辛くてただただ泣いた。

 


そういえばSnowManが横アリで3公演もやらせてもらえるのに、お祝いすらできてなかったな…とふと思った。

 

 

受け入れるしかないことは頭では理解してるのだけど、それって今までの大好きなSnow Manの全部否定することになるんじゃないかって、そのうち全部思い出せなくなっちゃうんじゃないかって、過去のものになってしまうんじゃないかって、そんなの嫌だった。

 


何でこんなことになっちゃったんだろう。Snow Manが6人でいてくれたら、10年後だって、20年後だって、100年後だって間違いなくSnow Manのこと大好きだっのたのに。何でだろう。Snow Manのこと好きになれないかもしれない、なんてことになってしまったんだろう。ただSnow Manのこと好きなだけなのに…

 


全然受け入れられないし、このまま離れてしまう気がしてるんだけど、私の好きって所詮そんなもんだった?

 


6人がSnow Manを守るために決めた決断なら私はそれをいつかきっと心にしまう。でも9人の彼らが心から笑える日が来たとき、その景色の中に私がいるかどうかは今はまだ分からない。

 


今までこんな風に考えたことなかったけれど、Snow Manにとって滝沢歌舞伎はある意味諸刃の剣だったのではないかって。確かに舞台経験を積める恵まれた機会ではあった。でも毎年春になれば彼らは約1〜2ヶ月間小さな箱に閉じ込められていたことには違いなくて。それで逃したチャンスはいくつもあった。

 


たらればばかりで頭がいっぱいになる。

 


増員から2週間ちょっとが経った、2/3。滝沢歌舞伎ZEROの初日を迎えた。こんなに怖いと思った初日は初めてだった。楽しみの気持ちより、自分がどんな気持ちになるか想像がつかないことが怖かった。

 


滝沢歌舞伎ZEROを観劇して、8人のSnow Manを観て、正直まだ全然受け入れられてないし、受け入れ態勢整うまで数年はかかるなって思った。でも受け入れていくしか選択肢がないことも分かってるから、その数年の間、離れずにいる努力は自分がしなきゃいけないものだなって感じた。いろいろ考えて考えまくってぐるぐるして、最悪の場合離れる可能性もあるって思って観に行ったけど、滝沢歌舞伎ZEROは最高だった。それだけで十分行った意味があった。

 


WITH LOVE の「そうさずっと僕らは同じ道行けることを信じてる」って歌詞がいろいろ重なってしまって辛くて泣いた。私もそう信じたい。そう信じたいよ。

 


「このグループだけはどうしても守りたかったんで」っていう深澤さんの言葉を聞いても、6人では守れなかったの?って思ってしまって辛かった。

 


私はラブ担があの1年どんな思いで過ごしてきたか分からないけれど、こうして未来を予感させてくれる今、7人を守るためにあの選択をしたLove-tuneと、信じて待ち続けたみんなが羨ましくて仕方がなかった。SnowManを守るために6人を捨てるくらいなら、6人を守るためにSnowManを捨ててくれた方が良かったかもしれない、なんて思ったりもした。

 


でも、受け入れられないのはこっちの問題であって全くそっちには関係ないから。ファンのことなんで1ミリも考えなくていいから、自分の生きたいように生きて、勝手に幸せになって。誰よりも幸せになってって。

 


横アリ単独公演。増員後初のコンサート。大泣きした。9人が明るい未来を歩いてくれることを心から願うと同時に、私は多分、6人が6人を諦めたことを一生許せないと思った。でもそれでも私は彼らと同じ景色が見たい。彼らが心から幸せだと思える瞬間に立ち会いたい。ただそれだけは変わらなかった。

 


「僕はステージに立つこと、このSnowManでいることに人生をかけました」という深澤さんの挨拶で多分一生分泣いた。

 


SixTONESの単独公演に見学に来るSnowManSixTONESの追加宮城公演の発表があった。見学席にいるSnowManの表情が一気に曇ったことを忘れられない。

 


映画少年たち公開。全国舞台挨拶ツアー。これがSnowMan6人の最後の仕事だった。これが終わったらもう2度と6人のSnowManに会うことはできないんだって。長い青春時代の最後の卒業旅行だった。

 


大好きだったんだよーーー!!!SnowManがーーー!!!!!!6人が!!!!!!!たくさん楽しい思いをありがとう!!!!!!!!

 


少年たちの舞台挨拶について誰もブログで触れてくれなかったのは、少し悲しかった。

 


滝沢歌舞伎新橋公演。

 

 

5/3結成日祝ってくれて嬉しかった。SnowManにとって5/3が特別な日だということは変わらないんだって嬉しかった。

 


5/5深澤さん誕生日公演。岩本さんが手紙を読んでくれて、深澤さんも手紙を読む。

 


「こうやって代々受け継がれている滝沢歌舞伎という舞台で。しかもメインで出させてもらってる…えー…あのー…タイミングで誕生日をお祝いしてもらえるっていうのはありがたいことで…えー…今年はSnow Man。色々ありました…辛かったけど…でも僕は今年きっと強くなれると思うんです。守りたいものが…6人から…9人になって…人は守るものが多ければ…強くなれると思うんです。つらかったけど…でも、Snow Manは今すごい踏ん張り時だと思うんです。僕だけじゃ守れないんです。だから皆さんの力貸してください。最後に、新幹線のトイレのモノマネします。聞いてください。(モノマネする)ありがとうございました」

 


辛かったけど…で涙が溢れてしまう深澤さん。会場みんながすすり泣く声が響く。人生でこんなに泣いた舞台他にないかもしれない。この人だいたい泣きながら新幹線のモノマネしてるって思ってクスッとしたのも忘れない。

 


5/17岩本さん誕生日公演。深澤さんのときとは違って楽しいお誕生日公演になった。岩本さんを笑わせられるか選手権みたいなのだったと思う。

 


5/19大千穐楽。来年2021年7・8月に滝沢歌舞伎ZERO公演決定が決まった。ああ、本当に滝沢歌舞伎を引き継いだんなと思ってしみじみした。

 


のべつまくなしを観に行った。キャッシュオンデリバリーでお世話になったサーデラ公演だったので。

 


スノトラなにわ合同コン。2番手決定戦か?と思った。もう2度とできないJr.祭りに思いを馳せる。でも普通にめちゃくちゃ楽しかった。グッズの売り切れダービーすごかった。(何でSixTONESいないの?)

 


今年もサマパラをやらせてもらえることになった。今年はSnowManTravis Japanの2組だけ。(何でSixTONESいないの?)

 


8.8ジャニーズJr.祭り。デビュー発表。胸が張り裂けそうだった。喜びたいのに、もう一生6人のSnowManには会えないんだと思ったら、苦しかった。でも、もういなくなっちゃう心配とかしなくていいんだって思った。6人でデビューして欲しかったっていう気持ちは正直にいうとある。でも、もうこうなったらついていくしかないんだって思う。深澤さんが描く未来観たいから。

 


少年たち。これが本当に最後の少年たち。卒業公演。私が大好きだったスノストをもうこんなにたくさん観ることなくなるんだろうなって。大泣きの大千穐楽。これから第二章が始まるんだね。

 


YTFF。デビュー曲「D.D.」を初めて生で観れて嬉しかった。

 


カウコン。年明けたらもうすぐデビューか…

 


デビュー日。家に届くCD。まさか、SnowManがデビューできるなんてあの頃誰が想像した?私は全く想像もしてなかった。(ごめん)でもなんか寂しくなっちゃうな。

 


タイ。今思えば行っておけばよかったなと後悔。

 


新型コロナウイルス感染症の世界的な流行。

 


デビューコンアジアツアーを発表するも中止。SnowManが順風満帆に進んで行ける訳ないんだよなってちょっと笑っちゃった。出だしからSnowManらしいなって。

 


デビューコン配信LIVE。いまだかつてあった?デビューコン配信になっちゃうなんて?

 


映画滝沢歌舞伎ZERO。コロナ禍にできるエンターテイメントを模索してくれたんだなって、でもやっぱり劇場で観る生の舞台に勝るものはないのよ。

 


徐々にコンサートや舞台が再開していく中で、開催された滝沢歌舞伎ZERO。かつてないチケット戦争。動員数を減らしているとはいうものの、いつの間にこんなにファン増えたの?SnowManすごい…

 


そしてついに有観客でのアリーナツアー決定。明日、デビュー後初の有観客のアリーナツアーが幕を開ける。ようやくだね。本当におめでとう。無事に最後まで走り切れますように。

 


どんな景色が待っているんだろう。どんなSnowManに出会えるんだろう。

 

 

 

この星に溢れてる 光り集めて

 

 

SixTONESデビューおめでとう。

 

 

自分の為に書いて置きたかった。私が観てきたSixTONESの軌跡と、そのときの自分の気持ちを。ただそれだけの為です。

 


もともとはHey!Say!JUMPが好きでデビューから観てきた。(彼らがデビューした当時小学生だったから、あのデビュー発表の地獄はぼんやりとしか知らない。あとあと知識として知っているというような感じで。)

 


JUMPがデビューしてから3年たった頃、NYCというユニットができた。中山優馬、山田涼介、知念侑李の頭文字をとって名付けられたユニット。そのバックにB.I.Shadowがついた(NYC boys)。中学生だった私はB.I.Shadowにどハマりして、永遠にMVを観まくって、ろくにテスト勉強なんてしてなかった。

 


中山優馬with/B.I.ShadowとしてCDを出した「悪魔な恋」が特に大好きで大好きで「はじめてのあのキスに どれだけ救われたんだろう」って、なんて懐かしいような美しくて儚くて切ない歌詞なんだろうって中学生ながらに思った。でも、優馬がセンターに立つ形に私は納得できなかった。withってなんだよって思った。優馬のことは普通に好きだったから、八当たりみたいで申し訳なかった。「4人いれば十分だぜ!」ってララリラの歌詞が好きで、だから私はB.I.Shadowは4人だってこだわりたかったんだと思う。

 


しかし、B.I.Shadowは長くは続かなかった。SexyZoneとして風磨と健人がデビューすることになり、B.I.Shadowは自然解体となった。SexyZoneのデビュー発表の少し前(SUMMARYあたり)から、なんとなく出番だったりがバラバラになって、ふまけんとチビたちの括りがなんとなく見えてた。納得できなかった。私はSexyZoneのデビューを祝うことができなかった。4人はバラバラになった。優吾と北斗はまたバラバラなJr.の世界に戻っていった。風磨と健人のあいだにも亀裂ができてしまった。それが痛いくらいに見てとれた。そしてSexyZoneのデビューの余波はそれなりのJr.に影響与えた。ジャニーズJr.は個人戦が当たり前。それを忘れていた。

 


(京本さんはSexyZoneだったかもしれないということを後日談として知ることになる。参照STAGE navi 2017 vol.16)

 


そんなときに行き場をなくしてた無所を集めたかのようにバカレア組ができた。日テレ土曜深夜のドラマ枠で放送されていた「私立バカレア高校」 に出演しているJr.6人をファンはバカレア組と呼んだ。

 

当時、Hey!Say!JUMPのバックに付いていたJr.の中からテレビ局の偉い人たちが一般ウケしそうなメンバーを選んでキャスティングした。

 


私があの時代にバカレア組に興味を持たない訳がなかった。ドラマにはHey!Say!JUMPから雄也も出ていたし、何より優吾と北斗が出ていた。2人が一緒にいてくれることがB.I.Shadowが大好きだった私にとっては唯一の救いだった。

 


ドラマは人気を博し、バカレア組と呼ばれた6人は一世を風靡した。ジャニーズJr.ブームの火付け役とすら謳われた。彼らは一気にジャニーズJr.の最前線まで駆け上がっていった。(バカレア6人が集まることで解体されたグループもあった。ヒプホとか。京安ラインとか。)

 


JUMPのバッグにもついてくれて、JUMPだけじゃ埋まらなかった客席を埋めてくれた。(JUMP WORLD 2012に6人のHELL,NO入ってるからみんなDVD買って!)

 


そしてあの伝説のバカレアSUMMARY。「ジャニーズ Jr.の真実」で公演前の彼らの気持ちを知った。まだ初々しさが残ってて、6人でいられることが本当に楽しそうで、こっからずっと続いて行くんだと思った。一緒にひとつひとつ進んで行けるんだと思った。次は絶対にこの子たちが夢を掴む番だったって私は信じて疑わなかった。

 


でもそうはならなかった。まもなく、バカレアバブルは弾けた。北斗とジェシーだけが推された。それも猛烈に。これが事実上バカレアの解体だった。バカレア公演だと思ってたクリエには北斗とジェシーはいなかった。2人のいないクリエで4人がShake It Upを歌った。なんで?どうして?って思った。4人は自分たちのことを残り物と呼んでいた(後から知った)

 

 

多分北斗がジェシーに絶対的な信頼を寄せるようになったのはこの時期がきっかけなんだろうなと思ってる。

 


その後北斗とジェシーもだんだんとバラバラになっていって、ジェシーが1人でJr.のトップに立つようになった。誰かがやらなきゃいけなかったんだと思う。誰かがその立場に立たなきゃいけなかったんだと思う。それがジェシーだった。

 


2014年テレビ朝日が開設したEXシアターでジャニーズJr.がメインに立つ公演をやることになった。その時もジェシーはトップに立ち続けていて、毎月公演には欠かさず出演していた。他のメンバーは月替わりで毎回違うメンバーでステージをつくった。

 


EXシアターができたことは今思えばJr.にとって大きな出来事だったと思う。今までJr.がメインでできる会場なんてクリエくらいしかなくて、ほとんどは先輩のバッグのお仕事だったから。チャンスをもらえないJr.もたくさんいた。そんな彼らに、未熟だけれども懸命な彼らに、輝けるチャンスをステージをくれた。テレビ朝日さんには感謝しかなかった。

 


ガムシャラも最高の番組だった。『8時だJ』や『裸の少年』以来の地上波での関東Jr.メインの番組だった。普段ステージでは見れないような素顔をたくさん教えてくれた。彼らの裏での努力もたくさん知った。彼らがどんな思いをステージにかけているのかも教えてくれた。この子たちが幸せになる未来を見届けたいと思った。

 


ガムシャラ J’sパーティー(通称ガムパ)ではバカレア組6人が揃うこともあった。正直喜んでいいものなのかどうか、分からなかった。他の出演者もいる中で、同じラインに立ってる仲間たちに失礼なんじゃないかって思うときもあった。でもやっぱり6人で歌うShake It Upは嬉しかった。

 


この年のクリエ、part1、part2ってなんだよってみんなツッコんだクリエ。確かこの頃だった、関西から紫耀廉が東京にやってきた。その頃からきっと事務所の推しはそっちの方へ流れていった。

 


ガムシャラSexy夏祭りのパフォーマンスバトルは本当にこの個人戦時代の全てが詰まっていた。我武者羅の夏。Jr.みんな一人ひとりが輝いてて、眩しくて、彼らは青春のすべてをかけてステージに立ってた。北斗、ジェシー、神宮寺、岩橋がリーダーを務めた。

 


この頃になると正直私はこの中からまた新しいグループだったりができるのが少し怖くなっていた。グループがないからこその仲間の広がりだったり、それはそれで良いんじゃないかって思い始めてた。何より、選ばれる、選ばれない、という大人の事情で今の空気が崩れるのが嫌だった。あの夏の我武者羅のメンバーと安井さん、聡マリ、松松は永遠の仲間だから。だからか、私はバカレア括りにあまり拘らなくなっていた。

 


京本さんがエリザベートに出ることになった。オーディションで自分で掴んだお仕事だった。そのころの私は京本さんのことを全然知らなかった。でも歌いたい人だってことは知ってた。何か武器を身につけなきゃって焦ってるような感じがした。

 


ただこれで京本さんはクリエに出られないことになった。ポスターには京本大我の名前はなかった。だけど幕が開いてみると、ゲストというかたちで舞台稽古の合間に飛び入りで参加していた。「途中から京本くんきたよー」なんてレポが流れた。なんだかミゾミゾした。出演者として名前のない公演に?わざわざ稽古の合間に?京本さん以外の5人がそろう公演に?

 


そして2015年5月1日。TwitterのTLが濁流の如く流れた「シックストーンズ」。(のちにixが小文字表記となりストーンズという読み方に最終的に決まったという経緯を知った。)

 

とても嬉しかった。私、嬉しかったんだ。きっと諦めてる振りして、どこかでやっぱり6人が良くて、6人でユニット名貰えて泣きそうなくらい嬉しかった。「名前をもらえたら6人が認められた証拠だから、認めてもらえるまで頑張ろう」って言っていたバカレア組が解体を経てSixTONESになったんだ。みんな口々に「ジェシーが頑張ってくれて…」と話していたのが印象的だった。

 


そして2015年も私が大好きなパフォーマンスバトルが帰ってきた。(この年サマステ応援サポーターとしてMr.King vs Mr.Princeが結成された)

 


今年は我武者羅覇の5チームでの対戦。リーダーは去年から引き続き北斗、ジェシー、神宮寺、岩橋に加えて安井さんが務めた。

 


我武者羅覇5チーム全員が全力で勝負して、相手の健闘を称え合った。勝負の結果に関係なくもう全員優勝だった。これは残ってる限りの映像全部見て欲しい。上手く言葉にできない。みんなが大人と階段を1段ずつ登っていく姿が美しかった。これが個人戦時代の最後の夏になった。

 


この頃、舞台「少年たち」のお知らせがあった。SixTONESが舞台なんて大丈夫なのか?という一抹の不安と、正式に6人で揃うという事実に胸が熱くなった。その後申し込み締め切り直前にSnowManも出演することが発表された。申し込み期間が申し訳程度に延長された。(多分3日くらい?少なくね?)

 


はじめて少年たちを見た。普段戦争のことについて考えることってそんなにない。それは考えなくても良いくらい平和な国で暮らしているからだ、ということを突き刺さるほど教えてくれた、そんな舞台だった。とても良い舞台だった。正直、ここまでの実力を彼らが持っているとは思っていなかった。ジャニーさんが伝えたいことを体現している彼らに鳥肌がたった。

 


そしてこの舞台でSixTONESは初のオリジナル曲「この星のHIKARI」「BE CRAZY」をもらった。すごい嬉しかった。

 


次の年、ジェシーときょもは滝沢歌舞伎に出演することになった。またバラバラか…と思ったけど、彼らはもうグループだから、大丈夫なんだと思った。

 


4人はというと「welcome to SexyZone」のバックにprinceの3人と一緒に着くことになった。これまたなんか複雑な気持ちだった。優吾と北斗がセクゾのバックかと。もう見れないと思っていた4人が同じステージに立つことは嬉しかった。けど今はもう別々のグループで。セク鬱も許してなくて。それに関してはもう本当に、バーカ、バーカって感じで。でもそんなことステージでは一切見せない。彼らはプロだった。

 


そしてクリエ。この頃になるとJr.は本当にユニットに入っていることがすべてで。ユニット戦国時代が始まっていた。ユニット組と無所組との仕事量の差は歴然だった。私の中で一緒にEXに立ってたみんなは永遠の仲間だし、永遠のライバルだから、そこに壁ができてしまったようで、厳しい世界だとつくづく思った。(この年Love-tune結成)

 


クリエが終わると昨年に引き続き京本さんはエリザベートに出演した。

 


夏になると風磨のソロコン「風 are you?」のバックに北斗、樹、慎太郎、森継、目黒、原がついた。(元は樹と慎太郎と無所4の予定だったらしい)

 


正直驚いた。このレベルのステージをつくる風磨に。チャンスを与えられてここまで答えられる実力に。デビュー組との差を感じた。焦った。悔しかった。

 


そしてこの年のセクゾの変化はのちに、SixTONESにも大きな影響を与えたと思っている。かの有名な8.25事件。長らく続いていた、風磨と健人の関係性に大きな変化があった。

 


サマパラが終わるとすぐにサマステが始まった。この年のサマステはMr.KINGが推されているんだなということが一目瞭然だった。キンプリ解体かとJr.担は誰もが思ったと思う。スノストラブトラが横一線並ぶようになったのはこの頃からだったと思う。

 


この夏、SixTONESのデビューはまだまだ程遠いと心のどっかで思ってしまった自分がいた。この頃の6人は悩んでたと思うんだよね。自分たちの将来に。悩んで当たり前だった。ちょうど高校を卒業したり、周りが就活を始めたり、そういう時期だった。自分が選んだ道はここで良かったのか、そんなことを思ってもおかしくなんてなくて、だからか6人がバラバラに見えた。現に同じステージに立っていた仲間の1人が舞台のステージを選んで事務所を去っていった。私が9人のTravis Japanを観たのはこのサマステが最後だった。

 


私の勝手な想像だけど、京本さんはどこかでその選択をした仲間のことが羨ましいと思うことがあったんじゃないかと思ってて。彼が「歌いたい」と話してくれることは嬉しかったけど、その度にここからいなくなってしまうんじゃないかって、そうなってもおかしくないなって思ってた。

 


そして2年目の少年たち。2年目もこの舞台を任せてもらえたことが純粋に嬉しかった。そして、「IN THE STORM」をもらった。こうやって毎年新しい曲をもらっていけたら嬉しいなとぼんやりと噛み締めた。秋の風が吹き始めた頃だった。

 


冬帝劇は「ジャニーズワールド」が終わりを告げ、新たな舞台として「ジャニーズアイランド」が始まった。

 


関西ジャニーズJr.との東西SHOW合戦で東西オリジナル曲として「Brave Soul」「SHOW&SHOW」をもらった。きょもほくりゅうちぇの猫中毒観たい。

 


ジャニーズJr.祭り。私はこの祭りからの時代を第二次Jr.黄金期と呼んでる。本当に大好きだった。キンプリハイビースノストラブトラ。多分、私は一生この子たちを観続けて行くんだと思う。みんながどんな選択をしたとしても。それがステージに立つという選択であれば。

 


ジャニーズJr.祭り追加。デジチケ事件。こんなにも安井さんが凄いと思った日はなかったかも知れない。それと同時にジャニーズJr.の勢いをすごく感じた。急遽決まった公演だからってこともあって、チケットが比較的手に入りやすい現場だった。普段ジャニーズJr.を観ていない人も入るチャンスがあった。

 


ジャニーさんの「Jr.は当分デビューはさせない」発言があったのもこのあたりのタイミングだったと思う。このジャニーズJr.祭りでMr.KINGのデビュー発表あるのでは?なんて声もあったけど、私はそれはないだろうなって思ってた。ジャニーさんが平野さんを手放す訳がない。Mr.KINGのデビューがなければSixTONESのデビューもない。そんなこと分かっていた上での「Jr.は当分デビューさせてない」という発言。私たちはいいけど、それを聞いたジャニーズJr.たちは一体何を思ったんだろうかってことを想像するだけで怖かった。どうか誰も早まらないでくれと願うしかなかった。

 


この頃からだったかな、やってもやっても足踏みをしているような感覚が伝わってくるようになったのは。観てるこっちももどかしい気持ちになったりもしたけど、でもやっぱり楽しくってずっと観てた。

 


この年のクリエには出演しなかった。実質クリエの卒業だった。SixTONESが生まれた場所クリエでの公演がもうないのかと思うと感慨深かった。

 


この年のサマステ(キントレ)はEX初の単独があった。そして合同は SnowManと。凄い記憶にあるのは迫りくるジャニーズJr.マンション(6人用サイズ)が最高だった。ソファー に座って鎖で繋がれてるSixTONES、魅せ方の天才だと思った。

 


そして伝説のMC45分超え。なんだか去年のEXのときよりもグッと6人が固まってきた、そんな感じがした。本人たちも「今、SixTONES仲良いんだよね」って言ってたな。ただスタンディングMC長いの楽しいけど本当に足辛い。突然逆立ちし始めた京本さん理解できなさ過ぎて笑ったな。

 


8/1のMCで「今日は結成して2年と3ヶ月ですね」とジェシーが言うと、「ジェシー毎月1日になると言ってくんの」って樹が言って。私はもうそれだけで、どんな思いでジェシーが6人をまた集めてくれたんだろうって、泣きそうなった。

 


このEXが田中の件があったあとの初めてのステージだった。心許ない声も聞こえてきて。「これでまたデビュー遠のいた」とか、「もうデビューできないでしょ」とか。私は「お前らコイツらの何観てきたんだよ。コイツらのステージにそんなくだらねえもの持ち込むんじゃねえ。」って気持ちと、「大丈夫だ…よね……?」って気持ちが入り混じった。

 


EX単独が終わるとすぐサマパラ風磨のバックに6人でついた。サマパラ最終章のようだった。風磨にとっては春にSexy Zone presents Sexy Tour 2017 ~ STAGE 〜と題してSexyZone5周年のコンサートツアー終えた後の夏だった。

 


樹が「最近のSexyZoneにいる風磨好きよ俺」と言うと、「俺も好きなんだなあ、例えばどこが好きなの?」と返す風磨。樹「ちょっと前かな、腹括った感あるよね」と言い放つ。照れながら爆笑する風磨。

そのあと、風磨が「SexyZoneも売れなきゃいけないですから。SixTONESもね?」と言うと、「もちろん」って即答する北斗。

 


これがもう全部だと思った。素敵な仲間だなって思った。全部全部これで良かったんだって思った。私の中のB.I.Shadowへの想いとか、SexyZoneへの想い、SixTONESへの想いを全部抱きしめて進んで行こうって思えた。そんな夏だった。

 


3年目の少年たち。「JAPONICA STYLE」と「Beautiful Life」をもらった。それがもう本当にヤバかった。公演終了後、「JAPONICA STYLEヤバイ」しか言えなかった。自分の持ってるすべての語彙を発動させても「JAPONICA STYLEヤバイ」と言うことが限界だった。これは何度でも言うけど、やっぱり日生劇場で観た「JAPONICA STYLE」の衝撃は多分一生超えられないと思う。MVバージョンも好きだけど、日生劇場の演出がやっぱり最高に好き。

 


スノスト12人だけの少年たちはこの年が最初で最後だった。この年の少年たちが戦争を伝える舞台としては、最高レベルだったんじゃないかな。

 


少年たちLIVE。空襲にあった歴史のある街で公演を行った。1幕が少年たちダイジェスト、2幕がショータイムみたいな感じだった気がする。初めてSixTONESの名前の入った銀テープが飛んだ(SnowManと連名)。みんな嬉しそうだった。私も嬉しかった。地方をまわるLIVEはこれが初めてだった。

 


この頃の私はSixTONESは無敵だって思い込んでいた。だけど、少年たち松竹座、平日昼公演となると席が埋まっていこともあった。ショックだった。埋まらない訳がないって思ってたから。彼らの実力に人気が追いついていない事実を突きつけられてもどかしかった。

 


日生、LIVE、松竹座を経てスノストがとても仲良くなっていって、修学旅行みたいだった。その関係性はずっと変わらず続いて欲しいなあと思った。

 


その頃、突如発表された湾岸LIVE。のちに正式名称として、「お台場踊り場土曜の遊び場」と発表されたが、ダサい上に長いせいで定着しなかった。可哀想に。

 


出演グループはMr.KING・Prince ・宇宙Six・MADE・Travis Japan・HiHi B少年・Snow ManSixTONESLove-tuneの9グループ。

 


本当に湾岸のスタジオでライブって感じで、番協に来た気分だった。SixTONESだけ当落発表後に突然スタンディングになった。EXでMC伸びて延長料金取られたせいで椅子がなくなったのでは?とかオタクが言い出したの本当に面白かった。立ち位置が決められた満員電車みたいだった。客席(概念)の周り一周ぐるっとステージに囲まれていて、ものすごい距離が近くでビビった。初めての冬コンだったから、冬曲メドレーが嬉しかった。何より湾岸のセトリ天才だったのはシャレオツからのBattery。これは天才を天井突破してた。

 


この年の冬帝劇ハピアイ。東山さんが出演・プロデュースして下さるとのことで、初日を迎える前から期待しかなかった。実力の2幕。これぞジャニーズ。

 


この年のカウコンでは放送前のコンサートでSixTONESもAmazing!!!!!!を歌わせてもらえた。凄い嬉しかった。東京ドームでこの1曲にかける気迫があった。

 


少し不穏な空気を感じたのは、Love-tuneの不在。今まであれだけ一緒の括りだった兄組の中でLove-tuneがいない。今思えばこのときからだったんだよね。

 


そして1/17、キンプリデビュー発表。こんなド平日に4年間動かずにいた歴史が動き出すなんて想像してなかった。私は正直キンプリですらCDデビューはないと思っていた。それでも良いと思ってた。CDデビューがすべてじゃないってSixTONESも言うようになっていたから、その方向で6人が同じ方向を向けているなら、それで良い。6人が一緒にステージに立ち続けていけるのであれば、私は他に何も願うことはなかった。

 


だけどやっぱり、彼らが心の底で思うことはなんだろうかと考えることをやめられなかった。キンプリより先に自分たちがデビューできるビジョンなんて多分描いてはいなかったと思うし、それを覚悟でステージに立っているんだろうなとは思っていたけど、悔しさがないってこともないだろうなとか。でもそんなこと一切見せない。ステージに立つプロだから。まあでも、私は気付いたら泣きなら観劇してたんですけどね。

 


東山さんが「Jr.のファンの方彼らを誇りに思って下さい。近い将来必ず彼らの時代になります。」とブログに書いてくださっていて、その言葉はとても心強かった。

 


キンプリデビュー発表後すぐに情報解禁となったJr.祭り。戦争だと思った。キンプリが抜けたJr.の人気を測るサバイバルデスゲームだと思った。でも純粋に救われた部分もあった。横アリ単独が決まって、恐らくそれはキンプリのデビューコンよりも先で、デビューするしないに関わらず、実力はあるってことを証明できるチャンスだったから。

 


でも横アリ単独1回公演しかなくてオタクは本当にチケット戦争だった。私はありがたいことにチケットに恵まれて城ホ、横アリ共にほぼ全ステした(大学の卒業式以外)。そんなの多分この先もうないと思う。それくらい熱い時代だった。今のスノストラブトラを焼き付けておかないと後悔すると思った。

 


京本さんはJr.祭りと並行して舞台「恋するヴァンパイア」に出演していた。とてもハードなスケジュールだった。(ごめんね、Jr.祭り優先したから大阪公演行かなかった…)(このお仕事がのちにHARUTOにつながっていって、そうやって実力で仕事を掴み取る京本さんは本当にかっこいい)

 


Jr.祭り城ホ合同。もうずっと一緒にいた気の知れた仲間たちとの合同コンサート。この4ユニットは私の中で特別な人たち。この城ホで1度アンコールがなかった公演があった。

 


Jr.祭り横アリ単独。多分このコンサートは一生忘れない。これほどまでにSixTONESもファンも全力をかけたコンサートはないんじゃないか?

 


YouTubeが始まった。私は数字が可視化されることに戸惑いがあった。数字で彼らの一体何が伝わるんだ?って思った。でも、誰でも気軽に彼らのパフォーマンスを観ることができるという点では、ようやく閉ざされた箱が開かれたような感覚があった。

 


Jr.祭り中に情報解禁があった「BOSS CAT」。京本さん初の主演舞台。ようやく掴んだ主演。嬉しかった。でも舞台の客席を埋める難しさも知った。大千穐楽で泣きじゃくる京本さん。どれだけの重圧を背負っていたんだろうか。お疲れ様でした。

 


サマパラ2018はついにSixTONESに。椅子がある夏最高。大雨の中始まった初日。やっぱりアイドルをしている京本さんも好きだなあと思った。追加公演が発表されて、頭一つ飛び抜け始めたような気がし始めた頃だった。

 


4年目の少年たち。今年も少年たちやるんだ…。去年で最後かもと思っていたから、今年もやれることへの嬉しさの反面、前へ進めている感覚がなくて焦る気持ちもあった。前年、松竹座埋められていたら今年も松竹座公演あったのかなとか、要らんことを考えては、目の前の舞台を楽しんだ。「Hysteria」と「Night train」をもらった。曲はいいのに衣装どうした「Hysteria」と、ずっと演出にヒヤヒヤする「Night train」。曲は最高なんだ。

 


11/30をもってLove-tuneの退所が発表された。「ニートニートニート」の関係か美勇人は12/31をもって、

らじらーの関係で安井さんは翌年3/31をもって退所する運びとなったことがJr.情報局で公式発表された。今までJr.の退所を公式で発表されることなんてなかった。ただ発表の当日にあと数時間で退所するメンバーもいた。まあ、教えてもらえるだけマシか。仲間たちが別の道を歩み始めた。Jr.祭りが終わってからの空白の1年。ずっと仲良くしていた仲間の状況をSixTONESはどう観ていたんだろうか。

 


YTFF。事務所が変わり始めたことを示していたように思う。それを先頭で引っ張っていく役割を与えられたのがSixTONESなんだなって。私はCDは本格的にないんだろうなって思い始めた。キンプリが最後のご褒美だったのかなと。でもCDデビューしなくたってSixTONESはやって行ける自信もあった。CDっていう形式に拘らなくたって彼らの音楽は、エンターテイメントは素晴らしいから、それの事実を知っている人が知っていればいいやって思ってた。

 


キンプリアイランド。キンプリのバック扱いみたいで嫌だって雰囲気はあったけど、私はSixTONESが立ってるステージがあるならそれでよかった。彼らがどこに立っていようが、彼らが立っている場所がセンターだから。SixTONESのターンになると異様なまでもSixTONESの色に染まる帝国劇場を最後に観れてよかった。

 


12/30キンプリアイランドの見学に美勇人がきた。自分が退所する最終日前日。12/31は公演がないから。これが本当に最後。きっとみんなに最後の挨拶に来てくれたんだ。レポで知った瞬間泣いた。みんなの未来に幸あれ。

 


この年のカウコンはタキツの最後のステージだった。バックにつかせてもらえたことを誇りに思う。

 


京本さん主演舞台「HARUTO」素敵な舞台だった。京本さんの演技力、表現力に磨きがかかって。あんなに忙しい時期に稽古して、短期間てこれだけのレベルをつくりあげる力に感服だった。愛する人を幸せにするために彼女の側を離れるハルトは、じゃあ誰が幸せにしてくれるの?って思って泣いた。

 


チェンエラ。Jr.祭りの看板は降りたけれど、去年に引き続き同じ期間に横アリ単独を行った。アリーナ規模の公演普通にできるようになったんだなあと。

 


印象的だったのは、RIGHT NOWの演出。操り人形のようにジェシーが最初に動き出し、ジェシーが触れたメンバーから息を吹き返したように動き出す。最後に動き出したのが京本さんだった。入所、セクゾデビュー後の低迷、バカレア組くくりからの解体、2:4時代、ジェシーの推され、個人戦時代、バカレア組再結成、SixTONES初披露、そしてこれから、を描いてるように観えた。

 


「俺はグループに入ったのが20歳で、それまで1人での戦いだったから、最初はホントに慣れなかった。俺がSixTONESに対して申し訳ないと思うのは、俺だけ明らかにグループ経験が足りないんだよね。みんなグループでの活動の仕方、協調性だったりとかそれなりに心得ているけど、俺自身は1人で戦うことしかやってきてなかったから、お互いバチバチしてたし、自分1人でどうやって実力をつけるか、這い上がるかっていうところでやってきたから。急にSixTONESになってグループとしてのバランスの取り方とか、自分の生き方っていうのがすぐには見つからなくて、自分をよく見せることしかわからなかった。」

「だからSixTONESになっても、仲良くやっていくことや6人での振る舞い方を身に付けるのが出遅れたよね。みんなは、できないことをお互いフォローしようっていうスタンスがあったけど、俺は全部自分でできるようにならなきゃと自分を追い込みすぎた。でもちょっとして気づいたの。ここはこいつに任せればいいんだ、それがグループなんだって、やっと分かったのが本当ここ1年くらい(笑)。」

って京本さんが言ってて、これに対してジェシーが「なかなか心を開いてくれないと思うことはあったね」って、北斗が「遅いよ〜」って言ってて。

 


RIGHT NOWの演出、最後に動き出したのが京本さんだったことの意味がのちのち理解できた。

 


5/1の大阪城ホ公演。ファンの期待が最高潮に達していたんじゃないかな。私は怖いから期待してなかった。期待してダメだったこと何度も観てるから、浮かれない、地に足つける、目の前にあるものだけ観届ける。それだけ、って気持ちだった。彼らがステージに立つのならそれを観届けるだけ。

 


エリザベート。きっとこれが本当に最後だと思って入ったエリザベート。これを糧にしてどんどんこの道を突き進んで行くんだろうな。二足の草鞋は大変だと思うけど、きっとできる。

 


8.8ジャニーズJr.祭り。前日に、何かが起こる気配。当日コンサートが始まるとなかなか出てこないSixTONES。その頃にはもうほとんど確信に変わっていた。複雑だった。デビューはなくても、それでも観届ける覚悟して観てたから。デビューしたら否が応でも全部数字で評価される世界。そんなチンケな世界で彼らのエンターテイメントが評価されるのが正直嫌だった。数字で争ってる時間があったら、エンターテイメントを磨いて欲しいと思った。その日の東京ドームの空気はなんだか一言では表せない、異様な空気感だった。思うことは人それぞれ。絶対に忘れない1日になった。

 


5年目の少年たち。これが本当に最後の少年たち(だと思う)。第1章の最後のページ。今までの少年たちではなかったけど、Jr.の卒業式だと思って観る少年たちはあまりにも良かった。みんなが読む手紙はたくさんの想いが詰まっていて泣かずには聞けなかった。みんなが泣きじゃくった千穐楽も忘れないな。

 


私はようやくデビューについて、未来の可能性を広げるチャンスなんだと解釈できるようになってた。未来が広がれば、彼らがステージに立ち続ける理由になる。好きな人たちがステージに立ち続けてくれれば、もうそれ以上願うことは何もない。

 


ラフスト。Jr.最後のツアー。聴き慣れた曲たちのセトリ。Jr.最後に相応しい最高のセトリだったな。デビュー発表から、デビュー日までの間に観れる、晴れやかだけど不安げで、でも期待に満ちた、そんな独特な表情だった。

 


トーンインパクト。京本さんが泣きながら歌うImitation Rain。ああ、デビューするんだ。

 


1/22CDデビューするんだね。おめでとう。本当におめでとう。楽しかったなあ。きっとこれからも楽しいんだろうな。私はSixTONESが描く未来を、物語をこれからもずっと観続けていくんだろうな。

 


ステージに立ち続けてくれてありがとう。これから先どんな景色に出会えるんだろう。どんなSixTONESに出会えるんだろう。