この星に溢れてる 光り集めて

 

 

SixTONESデビューおめでとう。

 

 

自分の為に書いて置きたかった。私が観てきたSixTONESの軌跡と、そのときの自分の気持ちを。ただそれだけの為です。

 


もともとはHey!Say!JUMPが好きでデビューから観てきた。(彼らがデビューした当時小学生だったから、あのデビュー発表の地獄はぼんやりとしか知らない。あとあと知識として知っているというような感じで。)

 


JUMPがデビューしてから3年たった頃、NYCというユニットができた。中山優馬、山田涼介、知念侑李の頭文字をとって名付けられたユニット。そのバックにB.I.Shadowがついた(NYC boys)。中学生だった私はB.I.Shadowにどハマりして、永遠にMVを観まくって、ろくにテスト勉強なんてしてなかった。

 


中山優馬with/B.I.ShadowとしてCDを出した「悪魔な恋」が特に大好きで大好きで「はじめてのあのキスに どれだけ救われたんだろう」って、なんて懐かしいような美しくて儚くて切ない歌詞なんだろうって中学生ながらに思った。でも、優馬がセンターに立つ形に私は納得できなかった。withってなんだよって思った。優馬のことは普通に好きだったから、八当たりみたいで申し訳なかった。「4人いれば十分だぜ!」ってララリラの歌詞が好きで、だから私はB.I.Shadowは4人だってこだわりたかったんだと思う。

 


しかし、B.I.Shadowは長くは続かなかった。SexyZoneとして風磨と健人がデビューすることになり、B.I.Shadowは自然解体となった。SexyZoneのデビュー発表の少し前(SUMMARYあたり)から、なんとなく出番だったりがバラバラになって、ふまけんとチビたちの括りがなんとなく見えてた。納得できなかった。私はSexyZoneのデビューを祝うことができなかった。4人はバラバラになった。優吾と北斗はまたバラバラなJr.の世界に戻っていった。風磨と健人のあいだにも亀裂ができてしまった。それが痛いくらいに見てとれた。そしてSexyZoneのデビューの余波はそれなりのJr.に影響与えた。ジャニーズJr.は個人戦が当たり前。それを忘れていた。

 


(京本さんはSexyZoneだったかもしれないということを後日談として知ることになる。参照STAGE navi 2017 vol.16)

 


そんなときに行き場をなくしてた無所を集めたかのようにバカレア組ができた。日テレ土曜深夜のドラマ枠で放送されていた「私立バカレア高校」 に出演しているJr.6人をファンはバカレア組と呼んだ。

 

当時、Hey!Say!JUMPのバックに付いていたJr.の中からテレビ局の偉い人たちが一般ウケしそうなメンバーを選んでキャスティングした。

 


私があの時代にバカレア組に興味を持たない訳がなかった。ドラマにはHey!Say!JUMPから雄也も出ていたし、何より優吾と北斗が出ていた。2人が一緒にいてくれることがB.I.Shadowが大好きだった私にとっては唯一の救いだった。

 


ドラマは人気を博し、バカレア組と呼ばれた6人は一世を風靡した。ジャニーズJr.ブームの火付け役とすら謳われた。彼らは一気にジャニーズJr.の最前線まで駆け上がっていった。(バカレア6人が集まることで解体されたグループもあった。ヒプホとか。京安ラインとか。)

 


JUMPのバッグにもついてくれて、JUMPだけじゃ埋まらなかった客席を埋めてくれた。(JUMP WORLD 2012に6人のHELL,NO入ってるからみんなDVD買って!)

 


そしてあの伝説のバカレアSUMMARY。「ジャニーズ Jr.の真実」で公演前の彼らの気持ちを知った。まだ初々しさが残ってて、6人でいられることが本当に楽しそうで、こっからずっと続いて行くんだと思った。一緒にひとつひとつ進んで行けるんだと思った。次は絶対にこの子たちが夢を掴む番だったって私は信じて疑わなかった。

 


でもそうはならなかった。まもなく、バカレアバブルは弾けた。北斗とジェシーだけが推された。それも猛烈に。これが事実上バカレアの解体だった。バカレア公演だと思ってたクリエには北斗とジェシーはいなかった。2人のいないクリエで4人がShake It Upを歌った。なんで?どうして?って思った。4人は自分たちのことを残り物と呼んでいた(後から知った)

 

 

多分北斗がジェシーに絶対的な信頼を寄せるようになったのはこの時期がきっかけなんだろうなと思ってる。

 


その後北斗とジェシーもだんだんとバラバラになっていって、ジェシーが1人でJr.のトップに立つようになった。誰かがやらなきゃいけなかったんだと思う。誰かがその立場に立たなきゃいけなかったんだと思う。それがジェシーだった。

 


2014年テレビ朝日が開設したEXシアターでジャニーズJr.がメインに立つ公演をやることになった。その時もジェシーはトップに立ち続けていて、毎月公演には欠かさず出演していた。他のメンバーは月替わりで毎回違うメンバーでステージをつくった。

 


EXシアターができたことは今思えばJr.にとって大きな出来事だったと思う。今までJr.がメインでできる会場なんてクリエくらいしかなくて、ほとんどは先輩のバッグのお仕事だったから。チャンスをもらえないJr.もたくさんいた。そんな彼らに、未熟だけれども懸命な彼らに、輝けるチャンスをステージをくれた。テレビ朝日さんには感謝しかなかった。

 


ガムシャラも最高の番組だった。『8時だJ』や『裸の少年』以来の地上波での関東Jr.メインの番組だった。普段ステージでは見れないような素顔をたくさん教えてくれた。彼らの裏での努力もたくさん知った。彼らがどんな思いをステージにかけているのかも教えてくれた。この子たちが幸せになる未来を見届けたいと思った。

 


ガムシャラ J’sパーティー(通称ガムパ)ではバカレア組6人が揃うこともあった。正直喜んでいいものなのかどうか、分からなかった。他の出演者もいる中で、同じラインに立ってる仲間たちに失礼なんじゃないかって思うときもあった。でもやっぱり6人で歌うShake It Upは嬉しかった。

 


この年のクリエ、part1、part2ってなんだよってみんなツッコんだクリエ。確かこの頃だった、関西から紫耀廉が東京にやってきた。その頃からきっと事務所の推しはそっちの方へ流れていった。

 


ガムシャラSexy夏祭りのパフォーマンスバトルは本当にこの個人戦時代の全てが詰まっていた。我武者羅の夏。Jr.みんな一人ひとりが輝いてて、眩しくて、彼らは青春のすべてをかけてステージに立ってた。北斗、ジェシー、神宮寺、岩橋がリーダーを務めた。

 


この頃になると正直私はこの中からまた新しいグループだったりができるのが少し怖くなっていた。グループがないからこその仲間の広がりだったり、それはそれで良いんじゃないかって思い始めてた。何より、選ばれる、選ばれない、という大人の事情で今の空気が崩れるのが嫌だった。あの夏の我武者羅のメンバーと安井さん、聡マリ、松松は永遠の仲間だから。だからか、私はバカレア括りにあまり拘らなくなっていた。

 


京本さんがエリザベートに出ることになった。オーディションで自分で掴んだお仕事だった。そのころの私は京本さんのことを全然知らなかった。でも歌いたい人だってことは知ってた。何か武器を身につけなきゃって焦ってるような感じがした。

 


ただこれで京本さんはクリエに出られないことになった。ポスターには京本大我の名前はなかった。だけど幕が開いてみると、ゲストというかたちで舞台稽古の合間に飛び入りで参加していた。「途中から京本くんきたよー」なんてレポが流れた。なんだかミゾミゾした。出演者として名前のない公演に?わざわざ稽古の合間に?京本さん以外の5人がそろう公演に?

 


そして2015年5月1日。TwitterのTLが濁流の如く流れた「シックストーンズ」。(のちにixが小文字表記となりストーンズという読み方に最終的に決まったという経緯を知った。)

 

とても嬉しかった。私、嬉しかったんだ。きっと諦めてる振りして、どこかでやっぱり6人が良くて、6人でユニット名貰えて泣きそうなくらい嬉しかった。「名前をもらえたら6人が認められた証拠だから、認めてもらえるまで頑張ろう」って言っていたバカレア組が解体を経てSixTONESになったんだ。みんな口々に「ジェシーが頑張ってくれて…」と話していたのが印象的だった。

 


そして2015年も私が大好きなパフォーマンスバトルが帰ってきた。(この年サマステ応援サポーターとしてMr.King vs Mr.Princeが結成された)

 


今年は我武者羅覇の5チームでの対戦。リーダーは去年から引き続き北斗、ジェシー、神宮寺、岩橋に加えて安井さんが務めた。

 


我武者羅覇5チーム全員が全力で勝負して、相手の健闘を称え合った。勝負の結果に関係なくもう全員優勝だった。これは残ってる限りの映像全部見て欲しい。上手く言葉にできない。みんなが大人と階段を1段ずつ登っていく姿が美しかった。これが個人戦時代の最後の夏になった。

 


この頃、舞台「少年たち」のお知らせがあった。SixTONESが舞台なんて大丈夫なのか?という一抹の不安と、正式に6人で揃うという事実に胸が熱くなった。その後申し込み締め切り直前にSnowManも出演することが発表された。申し込み期間が申し訳程度に延長された。(多分3日くらい?少なくね?)

 


はじめて少年たちを見た。普段戦争のことについて考えることってそんなにない。それは考えなくても良いくらい平和な国で暮らしているからだ、ということを突き刺さるほど教えてくれた、そんな舞台だった。とても良い舞台だった。正直、ここまでの実力を彼らが持っているとは思っていなかった。ジャニーさんが伝えたいことを体現している彼らに鳥肌がたった。

 


そしてこの舞台でSixTONESは初のオリジナル曲「この星のHIKARI」「BE CRAZY」をもらった。すごい嬉しかった。

 


次の年、ジェシーときょもは滝沢歌舞伎に出演することになった。またバラバラか…と思ったけど、彼らはもうグループだから、大丈夫なんだと思った。

 


4人はというと「welcome to SexyZone」のバックにprinceの3人と一緒に着くことになった。これまたなんか複雑な気持ちだった。優吾と北斗がセクゾのバックかと。もう見れないと思っていた4人が同じステージに立つことは嬉しかった。けど今はもう別々のグループで。セク鬱も許してなくて。それに関してはもう本当に、バーカ、バーカって感じで。でもそんなことステージでは一切見せない。彼らはプロだった。

 


そしてクリエ。この頃になるとJr.は本当にユニットに入っていることがすべてで。ユニット戦国時代が始まっていた。ユニット組と無所組との仕事量の差は歴然だった。私の中で一緒にEXに立ってたみんなは永遠の仲間だし、永遠のライバルだから、そこに壁ができてしまったようで、厳しい世界だとつくづく思った。(この年Love-tune結成)

 


クリエが終わると昨年に引き続き京本さんはエリザベートに出演した。

 


夏になると風磨のソロコン「風 are you?」のバックに北斗、樹、慎太郎、森継、目黒、原がついた。(元は樹と慎太郎と無所4の予定だったらしい)

 


正直驚いた。このレベルのステージをつくる風磨に。チャンスを与えられてここまで答えられる実力に。デビュー組との差を感じた。焦った。悔しかった。

 


そしてこの年のセクゾの変化はのちに、SixTONESにも大きな影響を与えたと思っている。かの有名な8.25事件。長らく続いていた、風磨と健人の関係性に大きな変化があった。

 


サマパラが終わるとすぐにサマステが始まった。この年のサマステはMr.KINGが推されているんだなということが一目瞭然だった。キンプリ解体かとJr.担は誰もが思ったと思う。スノストラブトラが横一線並ぶようになったのはこの頃からだったと思う。

 


この夏、SixTONESのデビューはまだまだ程遠いと心のどっかで思ってしまった自分がいた。この頃の6人は悩んでたと思うんだよね。自分たちの将来に。悩んで当たり前だった。ちょうど高校を卒業したり、周りが就活を始めたり、そういう時期だった。自分が選んだ道はここで良かったのか、そんなことを思ってもおかしくなんてなくて、だからか6人がバラバラに見えた。現に同じステージに立っていた仲間の1人が舞台のステージを選んで事務所を去っていった。私が9人のTravis Japanを観たのはこのサマステが最後だった。

 


私の勝手な想像だけど、京本さんはどこかでその選択をした仲間のことが羨ましいと思うことがあったんじゃないかと思ってて。彼が「歌いたい」と話してくれることは嬉しかったけど、その度にここからいなくなってしまうんじゃないかって、そうなってもおかしくないなって思ってた。

 


そして2年目の少年たち。2年目もこの舞台を任せてもらえたことが純粋に嬉しかった。そして、「IN THE STORM」をもらった。こうやって毎年新しい曲をもらっていけたら嬉しいなとぼんやりと噛み締めた。秋の風が吹き始めた頃だった。

 


冬帝劇は「ジャニーズワールド」が終わりを告げ、新たな舞台として「ジャニーズアイランド」が始まった。

 


関西ジャニーズJr.との東西SHOW合戦で東西オリジナル曲として「Brave Soul」「SHOW&SHOW」をもらった。きょもほくりゅうちぇの猫中毒観たい。

 


ジャニーズJr.祭り。私はこの祭りからの時代を第二次Jr.黄金期と呼んでる。本当に大好きだった。キンプリハイビースノストラブトラ。多分、私は一生この子たちを観続けて行くんだと思う。みんながどんな選択をしたとしても。それがステージに立つという選択であれば。

 


ジャニーズJr.祭り追加。デジチケ事件。こんなにも安井さんが凄いと思った日はなかったかも知れない。それと同時にジャニーズJr.の勢いをすごく感じた。急遽決まった公演だからってこともあって、チケットが比較的手に入りやすい現場だった。普段ジャニーズJr.を観ていない人も入るチャンスがあった。

 


ジャニーさんの「Jr.は当分デビューはさせない」発言があったのもこのあたりのタイミングだったと思う。このジャニーズJr.祭りでMr.KINGのデビュー発表あるのでは?なんて声もあったけど、私はそれはないだろうなって思ってた。ジャニーさんが平野さんを手放す訳がない。Mr.KINGのデビューがなければSixTONESのデビューもない。そんなこと分かっていた上での「Jr.は当分デビューさせてない」という発言。私たちはいいけど、それを聞いたジャニーズJr.たちは一体何を思ったんだろうかってことを想像するだけで怖かった。どうか誰も早まらないでくれと願うしかなかった。

 


この頃からだったかな、やってもやっても足踏みをしているような感覚が伝わってくるようになったのは。観てるこっちももどかしい気持ちになったりもしたけど、でもやっぱり楽しくってずっと観てた。

 


この年のクリエには出演しなかった。実質クリエの卒業だった。SixTONESが生まれた場所クリエでの公演がもうないのかと思うと感慨深かった。

 


この年のサマステ(キントレ)はEX初の単独があった。そして合同は SnowManと。凄い記憶にあるのは迫りくるジャニーズJr.マンション(6人用サイズ)が最高だった。ソファー に座って鎖で繋がれてるSixTONES、魅せ方の天才だと思った。

 


そして伝説のMC45分超え。なんだか去年のEXのときよりもグッと6人が固まってきた、そんな感じがした。本人たちも「今、SixTONES仲良いんだよね」って言ってたな。ただスタンディングMC長いの楽しいけど本当に足辛い。突然逆立ちし始めた京本さん理解できなさ過ぎて笑ったな。

 


8/1のMCで「今日は結成して2年と3ヶ月ですね」とジェシーが言うと、「ジェシー毎月1日になると言ってくんの」って樹が言って。私はもうそれだけで、どんな思いでジェシーが6人をまた集めてくれたんだろうって、泣きそうなった。

 


このEXが田中の件があったあとの初めてのステージだった。心許ない声も聞こえてきて。「これでまたデビュー遠のいた」とか、「もうデビューできないでしょ」とか。私は「お前らコイツらの何観てきたんだよ。コイツらのステージにそんなくだらねえもの持ち込むんじゃねえ。」って気持ちと、「大丈夫だ…よね……?」って気持ちが入り混じった。

 


EX単独が終わるとすぐサマパラ風磨のバックに6人でついた。サマパラ最終章のようだった。風磨にとっては春にSexy Zone presents Sexy Tour 2017 ~ STAGE 〜と題してSexyZone5周年のコンサートツアー終えた後の夏だった。

 


樹が「最近のSexyZoneにいる風磨好きよ俺」と言うと、「俺も好きなんだなあ、例えばどこが好きなの?」と返す風磨。樹「ちょっと前かな、腹括った感あるよね」と言い放つ。照れながら爆笑する風磨。

そのあと、風磨が「SexyZoneも売れなきゃいけないですから。SixTONESもね?」と言うと、「もちろん」って即答する北斗。

 


これがもう全部だと思った。素敵な仲間だなって思った。全部全部これで良かったんだって思った。私の中のB.I.Shadowへの想いとか、SexyZoneへの想い、SixTONESへの想いを全部抱きしめて進んで行こうって思えた。そんな夏だった。

 


3年目の少年たち。「JAPONICA STYLE」と「Beautiful Life」をもらった。それがもう本当にヤバかった。公演終了後、「JAPONICA STYLEヤバイ」しか言えなかった。自分の持ってるすべての語彙を発動させても「JAPONICA STYLEヤバイ」と言うことが限界だった。これは何度でも言うけど、やっぱり日生劇場で観た「JAPONICA STYLE」の衝撃は多分一生超えられないと思う。MVバージョンも好きだけど、日生劇場の演出がやっぱり最高に好き。

 


スノスト12人だけの少年たちはこの年が最初で最後だった。この年の少年たちが戦争を伝える舞台としては、最高レベルだったんじゃないかな。

 


少年たちLIVE。空襲にあった歴史のある街で公演を行った。1幕が少年たちダイジェスト、2幕がショータイムみたいな感じだった気がする。初めてSixTONESの名前の入った銀テープが飛んだ(SnowManと連名)。みんな嬉しそうだった。私も嬉しかった。地方をまわるLIVEはこれが初めてだった。

 


この頃の私はSixTONESは無敵だって思い込んでいた。だけど、少年たち松竹座、平日昼公演となると席が埋まっていこともあった。ショックだった。埋まらない訳がないって思ってたから。彼らの実力に人気が追いついていない事実を突きつけられてもどかしかった。

 


日生、LIVE、松竹座を経てスノストがとても仲良くなっていって、修学旅行みたいだった。その関係性はずっと変わらず続いて欲しいなあと思った。

 


その頃、突如発表された湾岸LIVE。のちに正式名称として、「お台場踊り場土曜の遊び場」と発表されたが、ダサい上に長いせいで定着しなかった。可哀想に。

 


出演グループはMr.KING・Prince ・宇宙Six・MADE・Travis Japan・HiHi B少年・Snow ManSixTONESLove-tuneの9グループ。

 


本当に湾岸のスタジオでライブって感じで、番協に来た気分だった。SixTONESだけ当落発表後に突然スタンディングになった。EXでMC伸びて延長料金取られたせいで椅子がなくなったのでは?とかオタクが言い出したの本当に面白かった。立ち位置が決められた満員電車みたいだった。客席(概念)の周り一周ぐるっとステージに囲まれていて、ものすごい距離が近くでビビった。初めての冬コンだったから、冬曲メドレーが嬉しかった。何より湾岸のセトリ天才だったのはシャレオツからのBattery。これは天才を天井突破してた。

 


この年の冬帝劇ハピアイ。東山さんが出演・プロデュースして下さるとのことで、初日を迎える前から期待しかなかった。実力の2幕。これぞジャニーズ。

 


この年のカウコンでは放送前のコンサートでSixTONESもAmazing!!!!!!を歌わせてもらえた。凄い嬉しかった。東京ドームでこの1曲にかける気迫があった。

 


少し不穏な空気を感じたのは、Love-tuneの不在。今まであれだけ一緒の括りだった兄組の中でLove-tuneがいない。今思えばこのときからだったんだよね。

 


そして1/17、キンプリデビュー発表。こんなド平日に4年間動かずにいた歴史が動き出すなんて想像してなかった。私は正直キンプリですらCDデビューはないと思っていた。それでも良いと思ってた。CDデビューがすべてじゃないってSixTONESも言うようになっていたから、その方向で6人が同じ方向を向けているなら、それで良い。6人が一緒にステージに立ち続けていけるのであれば、私は他に何も願うことはなかった。

 


だけどやっぱり、彼らが心の底で思うことはなんだろうかと考えることをやめられなかった。キンプリより先に自分たちがデビューできるビジョンなんて多分描いてはいなかったと思うし、それを覚悟でステージに立っているんだろうなとは思っていたけど、悔しさがないってこともないだろうなとか。でもそんなこと一切見せない。ステージに立つプロだから。まあでも、私は気付いたら泣きなら観劇してたんですけどね。

 


東山さんが「Jr.のファンの方彼らを誇りに思って下さい。近い将来必ず彼らの時代になります。」とブログに書いてくださっていて、その言葉はとても心強かった。

 


キンプリデビュー発表後すぐに情報解禁となったJr.祭り。戦争だと思った。キンプリが抜けたJr.の人気を測るサバイバルデスゲームだと思った。でも純粋に救われた部分もあった。横アリ単独が決まって、恐らくそれはキンプリのデビューコンよりも先で、デビューするしないに関わらず、実力はあるってことを証明できるチャンスだったから。

 


でも横アリ単独1回公演しかなくてオタクは本当にチケット戦争だった。私はありがたいことにチケットに恵まれて城ホ、横アリ共にほぼ全ステした(大学の卒業式以外)。そんなの多分この先もうないと思う。それくらい熱い時代だった。今のスノストラブトラを焼き付けておかないと後悔すると思った。

 


京本さんはJr.祭りと並行して舞台「恋するヴァンパイア」に出演していた。とてもハードなスケジュールだった。(ごめんね、Jr.祭り優先したから大阪公演行かなかった…)(このお仕事がのちにHARUTOにつながっていって、そうやって実力で仕事を掴み取る京本さんは本当にかっこいい)

 


Jr.祭り城ホ合同。もうずっと一緒にいた気の知れた仲間たちとの合同コンサート。この4ユニットは私の中で特別な人たち。この城ホで1度アンコールがなかった公演があった。

 


Jr.祭り横アリ単独。多分このコンサートは一生忘れない。これほどまでにSixTONESもファンも全力をかけたコンサートはないんじゃないか?

 


YouTubeが始まった。私は数字が可視化されることに戸惑いがあった。数字で彼らの一体何が伝わるんだ?って思った。でも、誰でも気軽に彼らのパフォーマンスを観ることができるという点では、ようやく閉ざされた箱が開かれたような感覚があった。

 


Jr.祭り中に情報解禁があった「BOSS CAT」。京本さん初の主演舞台。ようやく掴んだ主演。嬉しかった。でも舞台の客席を埋める難しさも知った。大千穐楽で泣きじゃくる京本さん。どれだけの重圧を背負っていたんだろうか。お疲れ様でした。

 


サマパラ2018はついにSixTONESに。椅子がある夏最高。大雨の中始まった初日。やっぱりアイドルをしている京本さんも好きだなあと思った。追加公演が発表されて、頭一つ飛び抜け始めたような気がし始めた頃だった。

 


4年目の少年たち。今年も少年たちやるんだ…。去年で最後かもと思っていたから、今年もやれることへの嬉しさの反面、前へ進めている感覚がなくて焦る気持ちもあった。前年、松竹座埋められていたら今年も松竹座公演あったのかなとか、要らんことを考えては、目の前の舞台を楽しんだ。「Hysteria」と「Night train」をもらった。曲はいいのに衣装どうした「Hysteria」と、ずっと演出にヒヤヒヤする「Night train」。曲は最高なんだ。

 


11/30をもってLove-tuneの退所が発表された。「ニートニートニート」の関係か美勇人は12/31をもって、

らじらーの関係で安井さんは翌年3/31をもって退所する運びとなったことがJr.情報局で公式発表された。今までJr.の退所を公式で発表されることなんてなかった。ただ発表の当日にあと数時間で退所するメンバーもいた。まあ、教えてもらえるだけマシか。仲間たちが別の道を歩み始めた。Jr.祭りが終わってからの空白の1年。ずっと仲良くしていた仲間の状況をSixTONESはどう観ていたんだろうか。

 


YTFF。事務所が変わり始めたことを示していたように思う。それを先頭で引っ張っていく役割を与えられたのがSixTONESなんだなって。私はCDは本格的にないんだろうなって思い始めた。キンプリが最後のご褒美だったのかなと。でもCDデビューしなくたってSixTONESはやって行ける自信もあった。CDっていう形式に拘らなくたって彼らの音楽は、エンターテイメントは素晴らしいから、それの事実を知っている人が知っていればいいやって思ってた。

 


キンプリアイランド。キンプリのバック扱いみたいで嫌だって雰囲気はあったけど、私はSixTONESが立ってるステージがあるならそれでよかった。彼らがどこに立っていようが、彼らが立っている場所がセンターだから。SixTONESのターンになると異様なまでもSixTONESの色に染まる帝国劇場を最後に観れてよかった。

 


12/30キンプリアイランドの見学に美勇人がきた。自分が退所する最終日前日。12/31は公演がないから。これが本当に最後。きっとみんなに最後の挨拶に来てくれたんだ。レポで知った瞬間泣いた。みんなの未来に幸あれ。

 


この年のカウコンはタキツの最後のステージだった。バックにつかせてもらえたことを誇りに思う。

 


京本さん主演舞台「HARUTO」素敵な舞台だった。京本さんの演技力、表現力に磨きがかかって。あんなに忙しい時期に稽古して、短期間てこれだけのレベルをつくりあげる力に感服だった。愛する人を幸せにするために彼女の側を離れるハルトは、じゃあ誰が幸せにしてくれるの?って思って泣いた。

 


チェンエラ。Jr.祭りの看板は降りたけれど、去年に引き続き同じ期間に横アリ単独を行った。アリーナ規模の公演普通にできるようになったんだなあと。

 


印象的だったのは、RIGHT NOWの演出。操り人形のようにジェシーが最初に動き出し、ジェシーが触れたメンバーから息を吹き返したように動き出す。最後に動き出したのが京本さんだった。入所、セクゾデビュー後の低迷、バカレア組くくりからの解体、2:4時代、ジェシーの推され、個人戦時代、バカレア組再結成、SixTONES初披露、そしてこれから、を描いてるように観えた。

 


「俺はグループに入ったのが20歳で、それまで1人での戦いだったから、最初はホントに慣れなかった。俺がSixTONESに対して申し訳ないと思うのは、俺だけ明らかにグループ経験が足りないんだよね。みんなグループでの活動の仕方、協調性だったりとかそれなりに心得ているけど、俺自身は1人で戦うことしかやってきてなかったから、お互いバチバチしてたし、自分1人でどうやって実力をつけるか、這い上がるかっていうところでやってきたから。急にSixTONESになってグループとしてのバランスの取り方とか、自分の生き方っていうのがすぐには見つからなくて、自分をよく見せることしかわからなかった。」

「だからSixTONESになっても、仲良くやっていくことや6人での振る舞い方を身に付けるのが出遅れたよね。みんなは、できないことをお互いフォローしようっていうスタンスがあったけど、俺は全部自分でできるようにならなきゃと自分を追い込みすぎた。でもちょっとして気づいたの。ここはこいつに任せればいいんだ、それがグループなんだって、やっと分かったのが本当ここ1年くらい(笑)。」

って京本さんが言ってて、これに対してジェシーが「なかなか心を開いてくれないと思うことはあったね」って、北斗が「遅いよ〜」って言ってて。

 


RIGHT NOWの演出、最後に動き出したのが京本さんだったことの意味がのちのち理解できた。

 


5/1の大阪城ホ公演。ファンの期待が最高潮に達していたんじゃないかな。私は怖いから期待してなかった。期待してダメだったこと何度も観てるから、浮かれない、地に足つける、目の前にあるものだけ観届ける。それだけ、って気持ちだった。彼らがステージに立つのならそれを観届けるだけ。

 


エリザベート。きっとこれが本当に最後だと思って入ったエリザベート。これを糧にしてどんどんこの道を突き進んで行くんだろうな。二足の草鞋は大変だと思うけど、きっとできる。

 


8.8ジャニーズJr.祭り。前日に、何かが起こる気配。当日コンサートが始まるとなかなか出てこないSixTONES。その頃にはもうほとんど確信に変わっていた。複雑だった。デビューはなくても、それでも観届ける覚悟して観てたから。デビューしたら否が応でも全部数字で評価される世界。そんなチンケな世界で彼らのエンターテイメントが評価されるのが正直嫌だった。数字で争ってる時間があったら、エンターテイメントを磨いて欲しいと思った。その日の東京ドームの空気はなんだか一言では表せない、異様な空気感だった。思うことは人それぞれ。絶対に忘れない1日になった。

 


5年目の少年たち。これが本当に最後の少年たち(だと思う)。第1章の最後のページ。今までの少年たちではなかったけど、Jr.の卒業式だと思って観る少年たちはあまりにも良かった。みんなが読む手紙はたくさんの想いが詰まっていて泣かずには聞けなかった。みんなが泣きじゃくった千穐楽も忘れないな。

 


私はようやくデビューについて、未来の可能性を広げるチャンスなんだと解釈できるようになってた。未来が広がれば、彼らがステージに立ち続ける理由になる。好きな人たちがステージに立ち続けてくれれば、もうそれ以上願うことは何もない。

 


ラフスト。Jr.最後のツアー。聴き慣れた曲たちのセトリ。Jr.最後に相応しい最高のセトリだったな。デビュー発表から、デビュー日までの間に観れる、晴れやかだけど不安げで、でも期待に満ちた、そんな独特な表情だった。

 


トーンインパクト。京本さんが泣きながら歌うImitation Rain。ああ、デビューするんだ。

 


1/22CDデビューするんだね。おめでとう。本当におめでとう。楽しかったなあ。きっとこれからも楽しいんだろうな。私はSixTONESが描く未来を、物語をこれからもずっと観続けていくんだろうな。

 


ステージに立ち続けてくれてありがとう。これから先どんな景色に出会えるんだろう。どんなSixTONESに出会えるんだろう。